編集

交通事故死について少しだけ考える

2022/05/02

交通安全は守るのが当たり前とされている。

されているが、正直私は自分が『しっかりと守っている』と言える自信はない。
そもそもルールが細かくて、覚えてないものも多いからだ。
車の運転免許を取る時に学んでも、その後にしっかりと学ぶという事はない。
更新時の講習も更新されたルールを中心に『覚えてないとまずいモノ』が優先される。

たとえば、『横断歩道に歩行者がいたら止まる』というルール。
免許を取る時に習ったけれども、私が住む地域(県?)では止まる車はほぼいない。
たとえ止まってくれたとしても、もう片方の車が止まってくれないので渡る事を躊躇するという事は多々ある。
田舎だからなのか、車が止まってくれるよりも、さっさと通過して安全になってから渡りたいとも思う。
歩行者だったらの場合で書いたが、これが運転者だったら……私はきっと止まれない。
止まる事で、後ろの車が追い越して歩行者をはねるのでは?と考えてしまう。

実際、歩行者だった時に似たような事があって、怖い思いをした。

歩行者優先なのは分かるけれども、ルールが徹底されなければ、『ルールを守って車が止まって事故が起きる』という、よく判らない悲劇が起きる。

歩行者がいたら止まって欲しいとは思うけれども、それを守ってくれない車の方が圧倒的に多い社会では、『さっさと通過して安全な道路(車がいない状態)にしてくれ』と思ってしまうし、その方がいいのでは?と思う。
でも、ルールはルールなので、やはり守った方がいいのだろうなぁ。


家の周りには横断歩道が無いので、あまり関係が無い話。


で、ここからが交通事故死の話。
流行病のニュースが飛び交う中、近所で『交通事故死』があった。
数日後には『交通事故死多発警報』と新聞に載っていた。

交通事故死が続いたらしい。
新聞から判断すると大半が高齢者で自転車に乗ってる時。
『見晴らしのいい道路の横断中』の事故となっていた。

近所の事故もそんな感じで、そこで事故が起きることはめったにないという場所だった。
ここからは推測だけれども、『後ろも見ずにいきなり横断し始めた』ので、はねられたのでは?と思う。

話は変わるが、とあるテレビ番組で『高齢者に自転車が人気』というのをやっていた。
番組を見ていると、『交通ルールを守る事を競わせる大会』があるらしい。
見ていると、「それ、私出来ないよ」という細かいルールが沢山あった。
自転車の手での合図とか……あるのは知ってるけど、こまかいのは忘れてしまった。

そして、それらをしてるひとを見た事が無い。
サインを出していても、私は判らないとすら思う。……何か動きがあるんだろうなとは思うケド、それ以上は判断できない。

自動車のルールは必須だけれども、自転車のルールも必要だなと思う。

田舎では自動車必須だし、自転車では移動距離が遠すぎて対応できない。
というのも多々あると思う。
けど、自転車は乗れた方がいいし、できるならルールを知っておいた方がいい。
……私は自転車の片手運転出来る気がしない。ので、方向を変える時は大人しく降りた方がいいのかもしれない…とは思った。

年を取ると、それまでやっていた事を『妥協』でやっていることにも気がつかなくなってしまう。
細かい規則は『守らなくても困ら無いモノ』になってしまうし、それがあったことさえ忘れてしまう。
運転時の細かい確認なんて、私も忘れてしまったが、運転出来てしまっている。
後方確認なんて、しっかりと出来ているとは言えない。
たまたま運よく『事故らなかっただけ』が積み重なっただけだ。


自転車に乗っていた高齢者たちもおそらく『それまで、やっていた方法』で道路を横断しただけだろうと思う。
そこに、車がやってきただけ。(もちろん、ひいてしまった車が一番悪い事に変わりはないけれども……運転者として『回避不可能』という事態はあると思うので、色々と複雑な気持ちになる)

『ルールを守れば、死の可能性は最大限に減らせる』のが交通事故。
流行病と違って、危険が目の前に見えるのが交通事故。


交通ルール大切。