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場面緘黙かもしれない

2022/05/02
場面緘黙ばめんかんもくの事を今月は書くぞ。

と思っていたけれども、別場所で散々書いたら、どうでも良くなってしまった。
ここで書く事がなくなってしまったけど、何か書いてみる。
場面緘黙ばめんかんもくの説明をしていないような気が。

ざっくり説明
  家庭などでは話すことが出来るのに、社会不安(社会的状況における不安)のために、ある特定の場面・状況では話すことができなくなる疾患である
Wiki

要は『身体的に問題なし・心理面の問題』ということらしい。(脳内の問題というのも見かけたけれども、まだ不明な点が多くて確実では無さそう)


時々テレビなんかにも取り上げられていたりするけれども、テレビは様々な事を取り上げてるし、その中の一つなんて覚えてられないだろうなとも思う。


知るべきなのは「足があっても、走れない人」がいるように、「口があっても、喋れない人」がいるという程度でよい。
私たちはうっかり『みんな同じ人間で、自分と同じことを他人も出来る』と思いがちだけれども、個人差は幅広い。という事も頭の片隅に入れておいた方がいい。


例えば、ネットの中だと相手の事は一切見えないケド、この文章も音声入力されている可能性もあるわけで。(両手が使えないとか、視力に問題ある人は音声入力を使う人もいる)
そんな『可能性』の一つとして、『特定の場面(人によって異なる)で話せない人がいる』と頭の片隅に置いてくれるといいなと思う。




場面カンモク問題……といっていいのか?
私がちょっとこれはたぶん。と思った身近な出来事。

『職場で挨拶をいつもしない人が、今日はするとか。バラバラなの、ムカつく』


これはあれだ。たぶん、いつもは緊張とか不安で上手く声を出せないケド、『頑張って声を出せる日だけ挨拶する』というパターンかなと思った。
というか、私も、それをよくやった。というか、そうしかできない。
私も、そう見えてるんだろうなぁと思いつつ、知人の怒りに一応頷いておいた。



『私の恋人が、私の家族に挨拶しなかった。挨拶は基本でしょって、叱ってやった』

……。これも、心当たりがありすぎて、痛すぎる。
うっかり喋れてしまうと、相手は『この人は喋れる人』と判断してしまう。けど、実際は『その時は喋れただけ』だったりする。
で、そのままうっかり恋人にまでなったは良いけど、恋人の家族には緊張が高まって声が出ない。

というのかなと。実はこれ、その恋人の人もちょっとだけ関わった事があるので知ってるのですが、もしかして??と思うような感じの人でした。



思いつくのはこれくらいですが、『あいつ喋らない。ムカつく』と思ったら、『喋れないのかな』と頭の片隅に置いておいてください。
多少、怒りが減るかもしれませんよ。





場面緘黙が治った……みたいなのを見かけますが、『喋れる事』と『喋る不安が消える』事は全く別物だと思っている。
喋る不安が消えたなら、治ったとも言えるだろうけれども、実際は大半が『喋る不安を残したまま、無理やり喋るという選択をする』のでは?
なので、『不安』は残っているし、『なるべく話さない選択』を選ぶし、緊張が高まると『失礼と分かっていても挨拶も会話も出来ない』という状態に陥る。


そんな人達がいるんだな程度で、たぶん、いい。
メンドクサイ四字熟語『場面緘黙』は覚えなくていい。