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翻訳作品と自動翻訳作品の読み比べをしてみた

 ノベルピアの日本版にある韓国作品を読んでみた。

綺麗に翻訳されている。外注で翻訳したのだろうか?と考えてしまった。韓国サイトにある同じ作品を自動翻訳で読んでみたが……自動翻訳の限界を思い知った。


自動翻訳で『魔王に媚びを売る』と出てきたものが、日本版サイトでは『魔王の首を取る』となっていた。どこをどうしてそうなるのか謎だが、意味が真逆になっている。


ハリーポッターの翻訳者さんもあとがき(だったと思う)で、作者さんの『言葉遊び』の翻訳に困ったと言っていた。いろんな点で言葉を弄っているのだが、それを直訳すると意味が変わる。かと言って意味だけを取り上げて翻訳するとニュアンスが変わってしまう。それを上手く翻訳するために日本語を頭の中でいろいろと考え尽したのだと。

言葉だけではない。文化的背景が違えば、受け取る印象も違う。

日本では麻薬が子供の部屋で見つかる事が日常茶飯事……なんてことはないが、海外のドラマなどでは子供が麻薬に手を出して悩む親というシーンがよくある。海外ドラマを日本ドラマにリメイクしてそのシーンがさっくりと削除されていたものもあった。


私が読んだ『ドラキュラ』の小説には『聖餅』というものが出てくるが、これは日本には存在しない。翻訳者が作った造語で、キリスト教において清められたパンということらしい。おそらく翻訳者はとても頭を捻った事だろうなと思う。元の言語の発音をカタカナ語表記するという手もあるが、それでは伝わらないと考え漢字で意味を伝える事を優先した結果ではないかと思う。

そういえば、とあるヨーロッパ風世界観の作品中でとあるカタカナ名詞の意味が分からず調べると『靴置き』と出てきた。カタカナで書くだけで世界観が出るのだろうが、意味は通じない。意味を取るか世界観を取るかの選択で世界観を選んだ作者なのだなと思った。『ドラキュラ』とは逆の選択である。


一時期、世界進出を目指して翻訳をすると言っていた『タスキー』という小説投稿サイトもあったが……翻訳作品を見る事もなく消えたような気がする。(いや。見てないだけであったのだろうか?)


とにかく翻訳には手間と技術が必要で簡単ではない。

自動翻訳で読もうものなら、さらに脳内で『物語に支障をきたさない言語変換』を強いられる。つまり、『あらすじ』を掴むのがやっとで細かい表現は全く読み取れない。

という事を思い知ったので、翻訳して作品を世界にとなるのは容易ではないんだなと実感した。


ノベルピアの韓国語作品の翻訳版は読みやすいが、文章がラフな作品が多いような気がした。凝った文章がないというか……。
Twitterの返信を開発者から貰って思ったけど……言葉がラフ過ぎで、知り合いじゃないのにその言葉はちょっと失礼だなと思ってしまった。

日本語習得過程でそのようになっているのか、本人の人柄なのかの判断がつかないので何とも言えないけど、アニメで日本語習得するとそのようなラフな言い回しになると聞いたことはある。


アニメは気楽な友達同士の会話は学べても、ちょっと距離のある言い方や敬語は学び辛い。作品からの言語習得は楽しいらしいが、弊害もあると言う事。


日本語習得もままならず、英語習得にくじけた私は他の言語に手を出す気力もなく自動翻訳に頼りっぱなしだけど、言語のあれこれを調べたり目にするのは楽しい。

でも、これでおしまい。

また暫く自分の作品に集中する。