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ケアは本当に巡るのか

2024/12/22

ネット記事でも載ってないかなと思ったけど、有料記事だったので無理だった。一部引用でも……と思ったけど、違うような気がするのでやめておく。


新聞を読んでいると『ケアは誰かに巡る』という事が書かれていた。沖縄の母子ケアの話。貧困層の女子が『理想の家族を求めて赤ん坊を欲しがり、貧困の連鎖が続く』という身も蓋もない事が書かれているが、これは『母子ケア』の話なのでそれでも母親をケアし続けていくという。

では子供はと言えば、学校など家庭外の場所でケアをして家庭での親子関係が悪くても『外側からのケア』を続けるという風に読めてしまった。これにモヤっとしてしまう。
いや。うん。母子関係を続けることが最良だと私も思う。けれど、母親には余裕がなくむしろ母親のケアが必要な状態で子育てをさせるのは親子にとって良い状態と言えるのだろうか。むしろこの状態は『子供が母親のケアのために捧げられている生贄』にすら見えてしまう。子供から見た時、それは最善でも最良でもない。最悪だ。なぜなら、『自分はずっと誰かのケアをする存在だ』と自分を定義してしまう。下手をすると『誰かのケアをし続けることが自分の存在意義』にすらなってしまう可能性がある。
そして、世代連鎖が続く。

なんというか、部外者ゆえの呑気さにすら見えてしまう文章で吐き気がする。いや。部外者は部外者でしかないというのはわかる。それでも、『ケアの必要な女性が子供を産むことを是とする』事には疑問が残る。ただ、この疑問を持ってしまうと『障害者も子供を持ってはいけないのか』みたいな話にも広がりそうで、事態は余計複雑だ。

一番いいのは『親のケアをする必要がないほどに親子ともどもケアされている』環境だ。それが難しいのはわかる。それでも……『子供が親を過剰にケアする必要がない』『誰かを助けることを自分の存在意義にしない』ぐらいには子供の環境を整えることは必要で、それを目指すべきじゃなかろうか。

この人(誰とは書かないけど)の書いた本を以前読んだけど、なんていうかこういうザラザラ感がある。そして、こういう貧困層への支援者たちの中にはこういうザラザラしたものを持つ人が一定数いるのだと思う。善意は常に善意だけではないし、誰しもが『自分への利益』を求めてるというのもわかるんだけど……

なんだろな。それがダメと言いたいわけじゃない。ただ、ザラザラする。


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