編集

虐待親と毒親の違いって?

2022/05/02

疑問がわいたので調べてみた。

こんなのを見つけた





上記には一緒だと書いてある。
元々の概念は『自己愛的な親』だったらしい。(Wiki:毒親
「毒になる親」は読んだが、正直、『それを言ったらほぼ全員が何らかに当てはまる』と思った。
そしてそれは、あながち間違ってもいないとも思う。
私が生きているのは、そんな歪み切った世界だと思うから。



毒親を毒親だというのは、恐らく『自分は病院送りになるほどの大怪我をしていない』という程度の問題だと思う。

大怪我をしていないから、親に愛されてる。
ちゃんと学費は出してもらえたから、親に愛されている。
話を聞いてもらえているから、親に愛されてる。

子供は、親の愛を探そうとする。
けど、探さなければ出てこない愛は、愛なのか?と思う。


いや。そもそも『愛』があれば、それは『毒(生きる事を阻むもの)』にならないのか?


毒親の毒は『子供の生きる力を阻む』という結果を、産む。
親の役目が『子供を一人前にすること(自立して生きる力を持たせること)』だとするなら、毒親は全く逆の役目を果たしてしまっていることになる。


『愛していても、子供の生きる力を阻むことはある』


愛が毒になる事はありえる。
『子供のために』と勉強を強制する親などが典型的だ。


毒親という言葉は私は好きではない。
好きではないが、虐待親というほどでもないというのも判る。


おそらく『一般的にはその事例は「虐待」とは言えない』が、
子供の気力を削ぎ、生きる力を奪う事もある。


私の親は私を愛していると思うが、
私が小さい頃、父の機嫌を損ねて妹が張り倒されたという記憶がある。
これが事実かどうかわからないほど、小さなころ。
けれども、父の機嫌を損ねるとそうなると覚えてしまった私は、父に逆らう事が怖くなった。
恐らく、父の暴力はその時一度きりで、それ以降そんな事はなかったと思うのだが、
たった一度の暴力の恐怖が脳内に染みついている。


大人にとってはたった一度、機嫌が悪かっただけでも、
子供にとっての大人は巨人であり、存在自体が逆らえないものでしかない。
そこに暴力が加われば、恐怖しか残らない。

その後の関係も暴力のない支配だったからだと言われたら、そうかもしれないが……正直、『暴力のない支配』の説明ほど難しいものはない。

一々「こんな事があって」と覚えている訳ではない。
よほど傷ついた事例なら別だが、『小さな事例の積み重ね』は説明しずらい。


たぶん、『毒親』には、「説明のできない、小さな事例の積み重ね」のせいもあるのだと思う。
他人が見て『虐待の事例』と判るような説明は出来ない……『私は親に生きる力を奪われた』という怒りになった『事例の説明』は難しかったりする。



全体としてみたら、それは『虐待』になるのだとしても、
他人が『小さな事例』を虐待として見るのは難しい気がする。

なにせ、『親は子供を愛するもの』という前提があり、『子供の為に、した事』という視点で見れば、『小さな事例』は虐待でもなければ、傷つく事でもない。
むしろそんな事例を持ちだして、親を責めたてる側を「あんたは、まだ子供だ」と断罪する。

子供は親を責めれば断罪される……その恐怖から、『虐待親』とは言えない。
もちろん、親を信じたいからと言うのもあるだろうけれども。




おまけ


毒親と言う言葉は嫌いだが、
最近、自分の親を毒親と言っていいのか、どうかすごく迷う。


だって、数人の人に私を見ただけで「あなたは親に愛されてるね」って言われたんですもの。(親の姿を見たわけではない)
確かに愛されてるとは思うケド、私の中ではすごくモヤッとするものもある。
愛されてないわけではない。
けれど……みたいな。

さらに、毒親話を聞いてると、私はそれほどでもないしな……という比較までしてしまう。←比較に意味はないと判っていても、つい。
比較し出したら、虐待親ではない(私は病院行きになってない)という話になってしまうんだけど。


ううーん。
毒親を前面に押し出すと、比べたがりの人から「あなたは大した事が無い」っていわれるのもメンドクサイしなぁと思ってる。
なので、たぶん時々ブログやツイッターで「こんな親だよ」程度がちょうどいいのかもしれない。