さて、私の自己紹介を今更してみる。
女。
日本に住んでる。田舎暮らし。
『田舎』という言葉は結構広くて、
一日一本のバスしかないところから、一時間に5本はバスor電車がある。みたいなところまで……範囲が広くて、『田舎』というキーワードは少し困る。
困るので後から『場所による』という注意事項を付ける羽目になる。
さて、ここで私に『毒親育ち』だとか『発達障害かも?』みたいなレッテルを付けたら、どうなるのかなと思ったりする。
毒親に関してもピンキリがあって、「毒親話」で盛り上がれる気は全くないし、
発達障害かも?というのも、私の場合はマイナーすぎて、「それ何?」に入りそう。
仮に「知ってる。私も」と言われても、やはりその話で盛り上がれる気はしない。
これらも『田舎』と同じで、範囲が広いからである。
一日一本のバスしかない場所の人と、一時間5本のバスの場所の人が
「バスが来なくて困る」と言っても、一方は『次の日になるから困る』という話で、一方は『30分も待たされた』みたいな話になる。
このすれ違いは大きい。
最初から「バスが来なくて次の日になっちゃった」という話にしないと、話にずれが生じる。
「バスが来なくて困る(次の日になるから)」に、うっかり「そうそう、困るよね」と答えてしまい。それが「30分待たされて」という話になったら…「違う。そーいう話ではない」になってしまう。
言葉は便利だが、『範囲が広すぎるレッテル』はあまり意味をなさない。
かと言って、細かく詰めすぎてしまうと『誰にも当てはまらない』というとても個人的な話になる。
「バスが次の日になったから、一晩バス停で泊まった」
なんて言う話になったら、それをするのはとても少数だと思う。……探すの大変そう。
さらに言うと、『バスが一時間に5本もあるなんて田舎じゃない』という……言葉の定義の話にもなってしまったりもする。
都会ほど便利じゃないって言う意味の『田舎』と思ってあげたらいいのにと思う。
障害とか毒親話とかだとよく見かける。
特に『毒親』は「子供の主観優先」みたいなものがあるので、どうかな……と思ったりはする。傷ついた自分を知るための『毒親』は必要だけれども、親を責めるだけの『毒親』は……ううーん。
障がいについては範囲が広すぎて、安易に否定するのはどうかと思うが、
自分が辛すぎると否定したくなる気持ちは判らなくもない。
外野の言葉は右から左で良いけれども、『レッテル』を張ってしまう事で『だから、毒親育ちは』とか『だから女は』とか……要らない批判がわく事もあるそうで。
……レッテルはレッテルで、めんどくさいなと思う。
同じ苦しみを負う人と繋がることも出来るケド、要らない人とも繋がってしまう。
なので私はひっそり
『毒親育ち』に『(元)場面緘黙』と言う事にしておこう。
元だけど、今は悪化してる気がするので、基本初対面の人とは喋らない。
そして別に、同じだと言う人と繋がりたいわけではない。
理由は上に書いた通り。
人間、いろいろ難しい。