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学習の機会は不平等なものなのか……考える

2022/05/02

平等はどこまでが平等かを考えてしまう。

休校措置で、学校はお休み。
お金のある家の子供たちは塾で学び、お金のない子供は勉強機会が無い。

『勉強するやつはする。しないやつの自己責任』

と言うのも見かけたけれども、個人的には
『子供が勉強しないのは自己責任ではなくて、大人の問題』

大学生が勉強をしないというのなら、自己責任かもしれない。
が、小中学生が勉強をしないならそれは

『勉強の楽しさを伝えていない』
『勉強のやり方が子供にあっていない』
『勉強の機会を与えていない』
という大人の責任。

休校で、必要な『勉強の機会』が奪われているというのは、
特定の大人ではなくて、社会の問題。

『お金を出してる人間が、より多くの機会を得るのは必然』
という人も居るかもしれない。
確かに『お金でブッ叩けば出来ることは多い』と思うが、
基礎部分の『学習機会』が失われてる時点で、大問題という認識が無いらしい。

『死ぬよりマシだろ』
という人も居るかもしれない。
だったら、大人も仕事をやめて家に籠れ『今、死ぬよりマシだろ』と言いたくなる。

私はこの『休校期間に学校が準備する事』にとても興味がある。
ネットで学習できるようにしたらいいと思うし、海外では即座にネットに切り替わっている国もあるのだとか。
でも、日本ではその『ネットに切り替え』も『金でブッ叩けば出来る』と言う事になっている。
つまり、裕福層の人のみが出来る事。(一部学校ではネットでの授業っぽいのがあるらしいが……)


学習が学校で出来ないならば、『他での代用』は必然だと思う。
学習機会はお金で得られるものにしてはいけない。
将来の財産である『子供たちの学習』をおろそかにするという事は、この国の将来をおろそかにするということ。

子供の学習を『子供たちの責任』にしてはいけない。
親の経済状況によらず、確実に『確保される』ものなのだという意識の低さが
『子供の自己責任』
などという言葉から見てとれる。



子供の学習機会を奪うことは『国の未来を奪う事』と同意語と思っている。
命は大切だが、それと同時に『学習機会をどう確保するか(学校と言う場所以外で)』というのも大切だと思う。


そして、大人たちも学べ。
『学習する事』が、いかに大切なことなのかを学べ。
それを得られない事が、どんなに悔しい事なのかを学べ。