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ポテサラ論争を考える

2022/05/02

スーパーで見知らぬお爺さんが、子連れの母親に「母親ならポテサラぐらい作れ」と言った。

と言うようなツイートが流れていた。
個人的には『見知らぬ人』が言うのはすごいなと思うが、これが『見知った人が言う』ならよくある事だなと思った。

田舎では近所のおばちゃんたちが似たようなクソバイスをしてくる。


数カ月、いろんな人がいろんな事を言っているようだったが、私のツイッターは『ジェンダー問題』や『差別問題』に興味がある人を多くフォローしているので、『女性差別』というような意見が大半だった。

もう一つの趣味アカは『それくらい、普通の事』という真逆の意見が多かった。

見ていて心地いいのは、『それは女性差別』という問題提起の方だけれども、『それくらい普通の事』という普通の人達の意見も分からなくはない……気分悪くなるケド。


でも、すでに数カ月が経っているので、元のツイートは忘れてしまったし、私のツイッターにも今更『ポテサラ論争』なんてものは出てこない。


けれど、なぜか、新聞にこの論争について、3人の意見が載っていた。
それが、とても『日本を表している』ような気がした。

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まず、日本男性(大学院教授……だったかな?)
『正義は人の数だけある』
::男性には男性の正義があって言っただけで、元ツイは「そのシーンを見て自分もポテサラを買った」という女性への共感だった。
男性を批判し出したのは外部の人間で、その人達にはその人達の正義があったのだろう。
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母親の正義は『ポテサラを買う』ことだっただけというような、書き方。
いや。そうじゃなくて、『気まずい空気』を感じて第三者のツイ主はポテサラを買ったんじゃないのか……。傷ついている母親がそこにいるよね?それは『勝手に傷つく正義』とでも名を付けるのか。
正義の名の元に、母親は傷つけられてもよかったわけ?(母親は何も言ってないから判らないじゃないかという、想像力に欠ける話になりそうだけど、それはそれで『男性的』だなと感じてしまう)
仮に元ツイートの母親が傷ついてなくても、似たような経験で傷ついている母親がいたから『ツイッターで批判』が起きたのだと思うし、私が見たツイートもそんな感じのが多かった。


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日本女性(婚活支援者)
『おせっかいなだけ』
::男性は親切心で言ったのだろうけど、時代には合っていない。
わたしだったら、「ありがとうございます」と上手くかわして、気にしない。
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でた。図太い女性代表……と思ってしまった(失礼
別に図太い事は悪いとは思わない。けど、『それで傷つく人がいる』という想像力の欠如。
図太い人が『私は傷つかない』は別に、それでいいと思う。
だから、『あなたも傷つかなければいいだけ』は違う。傷つく人がいる。元ツイの人が傷ついているかどうかは分からなくても『私も似た体験がある』というツイートの人達は傷ついているから訴えている訳で……。
そして、「ありがとう」なんて言ったら、また他の人が被害にあうだけ。あなたは「ありがたかった」他の人は違う。
……もしかしたら、図太く無ければ生きられなかっただけかもしれないけど、あまりにも救われないなぁと思う。


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海外出身(コラムリスト)
『ジェンダーの問題』
::私の国だったら、その場で徹底的に批判される。
へらへら受け流したり黙っていたら、何も変わらない。
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私がツイッターでよく見た話が載っていた。
が、それが海外出身者の意見として載っている……。なにこれ、日本で『それ差別だよね』って指摘する人はいないの?
地方新聞だから?地方だから、なのか?と色々と悶絶してしまった。
日本女性はへらへら受け流すから、男性は気がつかないし、何度も繰り返す。……とまぁ。日本ぶった切りの意見に、耳が痛いけど、もしこの3人の対談だったら、どんな意見になっていたのかなと思った。


海外出身者から見たら、日本女性の『ありがとう』と言って言葉を受け取るのは、一番最悪のパターンなのだろうなぁ。



そうはいっても、その場で批判できる勇気は私にもない。……"(-""-)"
勇気が欲しい。