毒親の動画を見ている。
毒親……に関する動画。
そこに、「愛が足りないと、アダルトチルドレン(AC:元はアルコール依存症の親を持つ子供の意味だったらしいが、今では毒親を持った子供の意味=生きづらい大人)になる」
というのがあった。
あ・い。。?
愛があればすべてが救われる……なんてものを私は信じてないし、
愛があれば、親が子供を傷つけてもいいとは思わない。
そもそも、『愛』なんてものは曖昧すぎる。
極論を言えば、『子供が大人になった』と言う事が『愛の結果』と親の視点では言える。
世間様の視点もそんなもので、大人になった子供が親に傷つけられた経験を語れば、『それでも育ててもらったんだから』なんていう、クソアドバイスが飛んでくる。
毒親(に傷つけられた子供)の話であるハズなのに、結論が『毒親視線』で眩暈がした。
凍りついた瞳2020と言う本に、子供の虐待の発生要因が5つ書かれていた。
1.親自身の要因
2.家庭の環境
3.社会からの孤立
4.子ども自身の要因
5.親と子供との関係
これらが複雑に絡み合って虐待は起きるとされている。
毒親と呼ばれるものも、おそらくこの要因があるのではないかと私は思う。
決して、親だけの問題ではないし、子供だけの問題でもない。
足りない『愛』って何でしょうね?
愛情をもって躾けると、虐待と言われてしまう親は大変だなと思うけれども、子供な私は『愛情のある躾け』よりも『知識を持った躾け』の方がありがたいと思う。
知的障害のある両親が、赤ん坊にリンゴ(だったか?与えてはいけないもの)を与えて殺した……と言うようなものを見た気がする。
知的障害の両親が我が子を愛してなかったわけではない。ものすごく愛情をかけていたはずだ。それでも、知識(この場合は支援だろうけど)が足りずに赤ん坊を殺すという事がありえる。
毒親に足りないのは『知識』と『探求』と『観察』だと思う。
普通の親はそれらを駆使して、子育てをする。赤ん坊の様子を観察して、何が必要かを探し出し、知識と照らし合わせて行動する。
経験則で『自分が大丈夫だったから大丈夫』という子育てや、『今までは大丈夫だったから大丈夫』という観察すらしない親が、毒になる(虐待をする)親になる。
親自身にそれが足りなければ、『助けを求める』という能力だけは持ってほしいと思う。
そして、社会には『助けを求める親』や『助けが必要な親』を支えるシステムが必要。
さらに運任せの、『優しいおばあちゃんがいれば大丈夫』とか『食事を用意してくれるお隣さんに助けられた』みたいな話を引っ張り出さないでほしい。
それらは、たまたま『運のよかった子ども』で、大半の子供はその『運』を持っていない。
それらの優しさがあっても、『親に傷つけられる』というのは子供にとって辛い経験であることに変わりはない。
親になると『親視線』になるのだろうなと思うケド、
『親にも愛情がある』というのと『子供が傷つけられる』というのは全く別物だから。
愛が足りないとか、曖昧な話にしないでほしい。
足りないのは愛ではない。
『子供にかける時間(観察)』と『子供の事を考える時間(探求)』と『子供に必要なものを与える時間(知識)』
それらが足りなければ、『助けを求める力(支援)』が必要。
……ただ、その支援が足りているかどうかと言われたら、足りないんだろうなぁ。とも思ってしまう。