『夫が末期ガン、妻が過労で倒れて、入院。同じ病室にしたところ、妻の方がなにかと夫の世話をして疲れていく。これではよくないと引き離したところ、妻は生き生きとし始め、夫はやつれていった。
夫は最後に妻の名前を呼んだが、妻は「あなたの事が大嫌いだった。早く逝ってください」と夫の耳元に囁いた』
という話。
この話、一見すると妻の言葉が『酷い』ように見えるケド、
長い間夫の怒鳴り声に耐え、世話をして、過労で倒れるくらい頑張っていたのを考えると……普通の恨みだと思った。
むしろ、よく言ったという拍手を送りたいくらい素敵な言葉だと思う。
本当はもっと前にそう言って、三下り半を突きつけてもよかったのに、それが出来ない環境だったんだろうなと。
見方を変えると、『早く逝かせることで、ガンの苦しみから救った』のかもしれない。
……とも見えるケド、たぶん、それはなさそうだなと個人的には思う。事実は当人にしか分からないから、本当はどうだったのか分からないけど。
それよりも、私が気になったのは、夫が最後に妻の名前を呼んだこと。
それ、本当に『妻の名前を呼んだの?』
一見すると、最後に最愛の妻の名前を呼んだ……と見えるかもしれない。
けど、それまでとことん夫の世話をして来た妻は、夫にとって『妻(人生のパートナー)』だったのかは疑問だ。
彼が欲しかったのは人生のパートナーではなくて、一生自分の面倒を見る母親だったのでは?と思う。
つまり最後に、妻の名前を呼んだように見えて実は、『お母さん(自分の世話をしてくれる人)』を呼んだだけなのかもしれない。
長い人生ずっと傍に『母親』がいる事が当たり前で、今わの際まで母親を呼ぶ男。
……不気味に思える。
これが年若く恋愛もした事がない男性ならばわかる。
が、子供を育て老年になった男が最後に呼ぶのが『母親』
これもまた、時代のせいもあるんだろうなと思いつつ。
人生のパートナーに出会えず、一生母親の世話になって生きる事を選ぶ男性。
妻よりも夫の方が、最後まで哀れだなと思った。
ついでに、私の祖母はすでに90を越えて生きている。
祖父が死んだとき、意気消沈しているように見え、みるみる痩せていった。
けど、違った。
祖母は祖父がいたので、ストレス太りをしてただけだった。
痩せて標準になって、祖母は元気になっていた。
祖父は生前「生まれ変わってもお前と一緒になりたい」と祖母に言ったそうだが、
祖母は「そんなの絶対に嫌だ」と即答したらしい。
時代がそうだったというのもあるけれども、やはり女性は男性がいない方が生き生きと輝くのかもしれない。