インターネット上で時々、『それは嘘ですよね』と言う人を見かける。
そして、私もそう言われたことがある。
事実を書いても『嘘』と言われる。
それが事実かどうかを証明する術がないので、別に『嘘』でもいいのだけれども、なぜわざわざ『嘘』であると決めて、それを『書く(言う)』のか。
『嘘』だというよりももっとわかりやすく、『それは、私には関係ない』と言えばいいのに
『(事実でも嘘でも)関係ない』ではなくて、『嘘』として無かった事にする。
そこには
事実であったら、困る。
何かがあるような気がする。
もしくは……加害感情がくすぐられたとかも、あるかもしれない。
嘘をつく人間は裁い(指摘し)ていいという正義感は、ただの加害なのだが、それに気がつかずに正義感を振るう人間はいる。
スピリチュアルな話だと、即座に『嘘』と決めつける人は多いけれども、
わざわざスピリチュアルな事を書く人に、「嘘ですね」とは言わないと思う。
そこは『この人はスピリチュアルが好きなんだ』で別世界の人間として、踏みこまない。
『嘘』だと思ったら、距離をとる。知らない世界には踏み込まない。
どうしても踏み込みたかったら、調べる。
『嘘』なんてインターネット上で言い合っても、事実の証明は難しいので無駄な時間になるだけ。
決めつけるには『証拠』がいる。それらは現実でどうぞと思う。
私はネット上にある情報は一旦、
『事実』として楽しんだのちに、「私に関係あるか」「関係ないか」に分ける。
「関係がある」には『興味がある』という好奇心も含まれる。
興味があるので、それについてとことん探す。
探した結果、「やっぱり、なんか違う」とか「意外にも事実っぽいのか?」と思うこともある。
……大半は、具体的に自分に関係する事ではないので、事実であっても嘘でもどちらでもいいのだけれども。
大半の情報はそれが『嘘』でも『事実』でも、害がなければスルーで良い。
ついでに『嘘』と言われても、証明のしようがないので
『異世界の住人に出会ったんだな』と思っておいた方が無難。
現実だとまた話は変わってくるかもしれないケド、それもやはり
『害がなければ、スルー』だし、問題が特にないなら『同じ空間にいると思っていたけど、異世界の人だった』という発見でいいと思う。
ついでに私は小学生の時の先生が異世界の住人で、事実を描いた日記(宿題)に『本当の事?夢の話?』と返事を貰った。
同じ世界に住むって難しい事なんだと思う。
人は『自分の考える世界』を抜け出すことは出来ない。
例外は『犯罪(もしくは、禁忌)』かなと思う。
犯罪だけは指摘してあげた方がいいし、して欲しい。
そんな感じの嘘との付き合い方。