ツイッターで『学校健康診断で、子供を裸にするのは人権侵害』というものが流れてきた。『子供たちを強制的に裸にしないで』というキャンペーンも見かけた。
確か 『学校の健康診断で背骨の状態を見るためには、裸の方が見やすい』というもの。
その症状を見逃して訴訟になったこともあるという。
・背骨の症状を見るというのが、学校の健康診断の項目に入っている。
・大勢の子供を一斉に見るというのは医師側にとっても負担。子供たちのお喋りで集中も出来ない。
・お金もそれほど貰えるわけでもないボランティア状態。
と言うような感じだったと思う。
医師側としてももっとゆっくりと、一人ひとり見る事が出来たらいいらしいが、時間的制約もあって『効率重視』をするなら裸の方がいい。
なるほどーと思いながら、私の小学生時代を思い出していた。
確かあれは小学5年生ごろ。予防接種で唐突に『なぜ私はここに居るのか』と考えてしまった。注射が嫌だ……というのはある。
それだけではなくて、『なぜ、寒い中予防接種の列に並ばなければならないのか』
注射の場所は図書室で暖かかったけれども、列は廊下まで続いていて、廊下は寒い。
私はこの注射に同意したか。誰か大人が『こんな理由で注射するけど、そうしていいか』と聞いてくれたかと考えた。結果、そんなものは無かった。大人同士(親と学校)が勝手に子供のためにと、やってるだけだと思った。
ではなぜ、同意してないものに私は従わなくてはいけないのか。
子どもの私の結論は
『この身体は私のモノではないから、私の意見など関係ないのだ』
というものになった。
それ以降、私は私の身体の権利を放棄した。
特に学校での私の権利などは存在しないものだし、『意見』なんてものは持つものではないと学校で教えられた。
学校とはそんな場所であると思っているが、それが未来にまで続けばいいとは思わない。
医師側の意見を見ているとまるで、学校は『工場』のようだと思う。
なるべく心身ともに『優良』な個体を製造するために、『効率』よく作業した結果。
健康診断で子供達は裸になるのだと思う。
その他の事にも言えるのかもしれないケド。
学校で『製品』を作るのやめよう。
大量消費の時代は終わったので、『人権』重視の人間を育てる場所として学校があってほしいなと思う。
もちろんそれは、子供たちだけではなくて『大人』である、医師や教師も『製品化』されてしまってるという意味も込めて。