数年前だったと思うが、ポテチが消えた。
理由は「前年の台風被害で農作物(じゃがいも)に被害が出たから」
もちろん、ジャガイモだけではなく、他の作物も被害が出ただろうし、人にも被害があったのかもしれない。
けれど、それらの報道は数日で、すぐに忘れた。
翌年「ポテチが無くなった」というニュースだけが流れた。
なぜ、『ポテチニュースは流れたのか』といえば、東京に住む人が困ったからだろうと思う。
別にポテチが食べられなくても死にはしないが、困りはするし、気にする人がいる。
それだけの理由。
台風被害は誰も気にしないし、困らないので、報道はされなかったのか……と唖然とした。
同時にそれは『地方での災害は、すぐに忘れ去られる小さなニュース』と言う事を実感した。
死者が少なければ特に、報道は小さくなる。
けが人も作物の被害も、報道するには値しない。
常に『東京』のニュースだけが地方にも垂れ流される。
東京の選挙なんて、知ったことじゃなくても、そのニュースがテレビで垂れ流される。
コロナの感染者数も東京だけが大きく報道される。
東京よりもひどい状況の場合だったのか、北海道や沖縄は一時期報道されてたが、今は良くなったのか同じ酷い状況なのか耳にしなくなった。
『調べればわかる』
ということは、
『調べなければ分からない』
別にテレビで東京の事をやるなと言いたいわけではない。
『死者が少なければ、地方の災害はニュースにならない。もしくは小さい』
同じ日本なのに別の国と言う事を、私も今回の災害で実感した。
日本と言う遠いの異国の人達はこの災害を覚えてないし、休校があったことも知らない。
『コロナが広がっているのに、休校にしないのか』というツイッターの書きこみを見ながら、
こちらは災害で休校だと思った。
異世界の人達は休校を願い。
災害にあった地は、休校のない日常を願う。
『コロナで成人式が中止』という書き込みを見ながら、
こちらは災害で中止。
『コロナで飲食店の営業時間短縮要請』というのを見ながら、
こちらは災害で飲食店やスーパーの営業時間が短縮。
(従業員が安全に帰れるようにと、客もあまり来ないから)
さらにここに、電車が止まり、道幅は狭くなり場所によっては通行止めになってる場所もあり、遠方に勤務している場合は勤務地まで車で数十分の時間を数時間(下手をするとほぼ一日)かけていく事態に。
ゴミ収集は止まり、スーパーの商品棚は空っぽ。
場所によっては停電が起きている。
けど、そんな事は報道されない。地方の小さなニュースで、地方でだけ『大変だ』と騒いでいる。
日本は遠い国。
地方は日本ではないのだと、改めて実感する。
それでも、コロナ感染者数はじわじわと増えて、県から『夜間外出自粛』の通達が出たらしい。
……この災害で、のんきに夜間外出している余裕がある人がどれだけいるのかと思ってしまった。
日本の地方の事を知りたければ、自力で調べるしかない。
東京の事なら、どこに住んでいても嫌でも耳にする。
それが、日本(語)の情報だと思う。
他の国もそんな感じなのかな。