ツイッターで、
『昔は容姿弄りをしていたけど、今は「老けた」と言われて傷つく。そして、どんな言い訳をしても慰めにならない事を知った』
と言うようなものを見かけた。
これは、虐めの告白だが、妊娠育児についても同じ告白は腐るほどある。
『子供をもって知った。自分よりも大切なものがある事』
あなたは親を大切に思えなかったんだね。と突っ込みたくなる。
『子供がいると、何事もはかどらない事を知った』
一人っ子か末っ子かな。年上だと下の子の世話を任せられて、『何事もはかどらない』を子供の頃から経験できる。
『子供がいると、自分の時間がない』
自分の時間?親よりはあるケド、常に『自分の時間』なわけではない。
親がいない時は妹弟に起きることは、上の子の責任になる。怒鳴られるの当たり前。……あ。親の方が子供を泣かせても、怒鳴られなくていいね……とすら思う。
読んでいると、殺気が湧く私はどうしたものかと思ってしまう。
最終的に、『子供を産んで知った事』というのを読んだ結果
『人間は経験しない事は学べない』と言う事に至った。
子供を産んで知った事の殆どは、子供をもたない私も知ってる事。
と言う事は、『子供の世話をした事がある人間が知ってる事』ということなんだなと。
そして、『子供を産んで知った事』を平然と書ける人間は、『子供の時に、子供の世話をしなかった人間』というだけ。
例外で『子供の世話が楽しかった』人は書けるのかもしれない。
私も『経験しなければ学べない』ので、『子供を産んだ人間』の事は分からないケド。
そもそも、産みたいとも育てたいとも思えないので、経験したいとも思わない。
そして、容姿弄りをしてる人間が、歳をとって自分の容姿を弄られて、他者の気持ちが分かるならまだマシで、それでも気がつかない人間は存在する。
『経験しても学べない人間』
それだけは、なりたくないケド、『学べるかどうか』は『気がつく事が出来るかどうか』なので、私もきっとそんな部分があるんだろうなと、頭の片隅に入れておく。