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緘黙という事

2022/05/03

気がつけば、5月が終わりかけている。
緘黙の啓蒙月間だった気がするのに、一欠けらも頭になかった。

そして、それでいいのかなと思う。


今はそもそも、他人と話す機会がない。私の状態は『全く知らない人で、この先も関わることがない人間』とは話すことが出来る。
だから、『トウツキ』でもキャッチと普通に話すことが出来ている。

この先も関わることがない人間と話すことが出来るのは、失敗しても変な事を言ってもこれっきりだからだ。
先生やクラスメイトは、この先も話さなければいけないので話せない。

同じ理由で、仕事仲間も話すまでには時間がかかっている。だから、休憩時間は基本、勉強をしているか読書をして人と話さないようにしていたのだ。
カミングアウト出来た相手2人も、それなりに時間をかけて色々と探った結果なので、いきなり切り出したわけではない。



一番疲れるのは、就職の為の電話で何度『声が小さい』と言われたか分からない。
インターネットで面接の申し込みが出来るのは非常にいいと思っている。
さらに、面接時はギリギリ何とかなったとしても、疲れ切って結果を聞く気力はない。
結果は1週間後の電話で……と言われても、それを受けった事はない。電話をかけるのは疲れる。電話を受け取るのはもっと疲れる。

緘黙の話で、電話をかける時は……みたいなものを見かけるが、問題はかける時ではなくて、受ける時な場合はどうしたらいいのか。それを見かけることはない。




もう、いろんなものが嫌なので、『誰の声も聞かない』と決めている。
話さないではない。『聞かない』
人の声も鳥の声も一緒だと思って生きていきたい。


来年はもう、緘黙について語る事はないかもしれない。