某有名人が、「ホームレスより猫を救え」と言った事が問題になっていたらしい。
大切なものは人それぞれ違うし、価値観も色々だ。
だから、赤の他人より猫と言うのはわかる。猫が好きなのだろう。
ただここで、『ホームレス』を引き合いに出してくるのは、不思議だなと思う。
ホームレスが猫を虐めでもしたのだろうか? 勝手なイメージではホームレスの方が猫や犬に優しそうだと思う。
これが、ホームレスではなくて『猫を虐待する人間』というものならば、それもまた納得する。
しかし発言は『ホームレス』と限定したらしい。『ホームレス』は社会的弱者でありながら、救済されてこなかった人達だと私は思っている。
私もいつ、そちら側に行くかわからない。
弱者は常にいつかの自分であり、未来の自分でもある。
それが判らない人達がいる。恵まれていることを恵まれていると思えないのだろうかと首をひねるが、とある記事で『ただの炎上商法』という指摘をしていた。
たしかに、過激な事を言えば過激な人が持ちあげてくれ、知名度を上げる。
たぶん、誰も何も考えてないのだ。
私もこうやって書いてみたが、ホームレスは身近ではないので分からない。
ホームレスどころか貧困ということすら私は分かっていない。
知識と情報を得ても、どれも正しさには辿り着かない。
勝手なイメージと解釈で言葉が成り立つ。
明日は我が身のホームレスも屋根のある場所にいる私にはわかってない。
書きたい事がずれてしまった気がする。
わかってないなりに、『誰かと誰かの命を天秤にかける』ことはしたくはないと思う。全く赤の他人のことならば、尚の事。それでも順位は付けてしまうそんな気持ちだけは分かる。
それが、良いとは思わないケド。
良くないけど、気持ちはわかる……というものは沢山ある。けど、その『良くない』に共感してしまえば共犯になってしまう。
良くない事は、良くない。正しい事が正しいとは限らないケド、灰色の間で私は、どうしたらいいのかを考えたい。