性別は誰が決めるか……というドキュメントをテレビで少しだけ見た。
トランス男性が出産をするのを追ったものだった。全部を見たわけではないケド、モヤッとした。
身体が女性になっていく不安。
下から産むかと聞かれて、今まで考えてなかったことを突きつけられる恐怖。
それでも産もうと決意する気持ち。
それ、トランス男性じゃないとダメなのですか?
普通の女性が出産で今まで以上に『女性の身体』だと突きつけられる不安がないとでもいうのだろうか。
下から産むか切るかなんて、聞かれるまでもなく下から産まされ、さらに無痛かどうかも選べない日本の実情。
色んな不安を乗り越えて産むのは普通の女性も同じはずなのに、全て『トランス男性の不安と恐怖』として語られる。
それ、普通の女性が持っている感覚と感情だと思うのです。なぜ、『トランス男性』がそれらを持つことになるのでしょう。普通の女性は恐怖も不安もなく妊娠出産に挑めるとでも言うのだろうか。自分が産む人間になるなんて考えた事もない……という女性の声もきいたことあります。女性だからと言って、女性の身体を常に意識しているわけではない人も沢山いる。
なぜ、『男性』の声になるのだろう。
これが、男性の見た目なために産婦人科で座る事が出来なかったとか、男性の見た目なために『男性のくせに』と言われたなどなら、分かる。
番組内では『トランス男性に対応してないのでと断られた』というのもあったけど……それは明らかな差別でしかたないよねで終わらせることではない。産むのは『正常な卵巣と子宮を持つ人間』であって、全ての女性(と言われる人たち)が産めるわけではないのだから。
むしろここは、『共に子供を産む同志』として認められたいというぐらいはあっていいのでは?と思うのだけど、それを認められたらきっとトランス男性にとっては『女性として扱われた』という事になり嫌悪の対象になったりするのだろうか。……その辺り放送されてたのかな。と疑問に思う。
私が見たのは、出産の不安のシーンと幼いころから男性の服を好んだというところだけだったので、……「だから?」という気持ちにしかならなかった。
母性神話なのか何なのか知らないけど、出産の不安は女性も同じ。トランス男性だけが不安に陥ってると言うのはおかしいし、そうやって『女性』の声を握りつぶされる歪さにしか見えなかった。
女性が女性の身体を許容しきっているわけがない。
そもそも毎月、生理の度にウンザリしている女性は多いような気がする。私もその一人だけど。生理が起きる身体を許容しているというよりは、どうしようもないよねという諦めに近い。
トランス男性の云々に共感できないのは、『トランス男性が出産するから』ではなくて『女性は妊娠出産を何の違和感もない』というような決めつけのような番組内容。
それ、普通の女性の出産ドキュメントと変わりません。
トランス男性としての体験は病院から拒否された部分ぐらいしかないのでは?
いや。全て見たわけではないので、他の部分は違ったのかもしれない。と思いたい。
でも、出産できるなら、生理があったはずだよね。それ、嫌悪感はなかったの?という疑問。セックス時も嫌じゃなかったの?……いや。あまりプライベートなのは流せないのかもしれないけど……その辺り、謎すぎる。
セックスなんて女と男の役割がはっきりしてるのに、気持ち悪くないのかな。
そして、性別は医療が決めるのだと思う。
性分化疾患の人たちは、女性と言う性別、男性と言う性別に振り分けられてもそこに合わない部分がある事で苦しむ人たちもいるのに……と考えると、トランスとは何なのかがますます分からない。
心の性別を否定する気はないけど、それ『ジェンダー文化』への違和感ではないのかという気持ちになる。本当に体が違うと思っているなら、ジェンダー女性は『出産と妊娠が出来ない身体の苦しみ』『生理が来ない不安』を味わうだろうし、ジェンダー男性は『生理が来る苦しみ』を味わうのでは?と思ってるけど……そんなものではないという説明を見る度、文化の問題なのねという最初の理解に戻っていく。
そして、トランスたちが普通の男性や女性の苦しみを矮小化していくような気がする。
それは元々女性が持っている苦しみなのに、トランス男性の苦しみとしてのドキュメントになるとかね。
トランス女性も『男性たちの下ネタなどのノリについていけない』みたいなのをみかけたけど、それ普通の男性もそう思ってる人いるだろうな……と思う。
皆がみんな『ジェンダー文化』を違和感なく受け入れているわけではない。
※差別的発言や偏見があるのは自覚しているけれど、トランスという存在がやはり私の中で疑問しかないわけで。もしかしたら、十年後にはまた変わっているかもしれない。