うちの庭はジャングルになった。
田舎の一軒家の庭は、住宅地の庭とは違う。それなりの広さなので、放っておけば『ジャングル』と化す。
要は荒れ屋敷の状態である。人の手が入るという事は良くも悪くも『取捨選択』される。
きれいな花、役立つ植物が多くを占めながらも、雑草と呼ばれるしぶとい草との格闘して『庭』と呼ばれる状態は保たれる。
それらを一切せず、10年放置した庭は『ジャングル』と化した。
人の手入れがなければ、生きられない植物は朽ち、より強いものが生き延びる弱肉強食の世界である。植物の世界が『共生』というのは半分は嘘である。
強い植物が地面を独占し、ほかの植物たちは駆逐される。特に『蔦系』は強い。ジャングルのイメージの中に蔦があるのは、蔦植物が強いからである。
というわけで、ツタ植物に浸食された『ジャングル』から、ツタをなるべく取り除きやっと地面が見える状態にした今。
桔梗だと思っていたけど、調べると『ツルニチニチソウ』という植物らしい。繁殖力が半端ないので植えてはいけないとなっていた。その植物に覆われていたのを、なんとか引きはがした。まだ、根っこが取り切れてないので、完ぺきとは言えないけどかなり減らしたはず……と思いたい。これ、完全除去しないとダメっぽいな。
ほぼこの『ツルニチニチソウ』で地面が覆われて、真冬でも『緑』だったけど、今年はやっと『茶色の地面』にした。
さて、次は『藤の除去』である。というわけで、藤の根っこと格闘する日々。
さらに実は……この庭には『竹』も植えてある。しかし、『ツルニチニチソウ』が強すぎて、竹の数が激減していた。まだひっそり出てくるので、根っこは生きている。竹は、そこまでひどくないので、しばらく様子見でいいかもしれない。
『ツルニチニチソウ』『藤』『竹』とやっかいな植物だらけだけど、さらにおまけで『キウイ』も植えてある。これはぶった切ったので、消えた。はずだったのに、まだ生きていて他の樹に絡みつこうと頑張ってた……ゾンビに見えたが、こちらは他の植物に比べると成長が遅いのでまだマシである。
一番厄介な『ツルニチニチソウ』はその名前の通りだと思う。
『蔓が日々伸びていく草』なのである。真冬はさすがに伸びないが、『ツタが枯れない』ので緑のまま春まで持ち越して、暖かくなると秋の続きとばかりにぐんぐん伸びる。そうすると『ツタで覆われて日が当たらない地面』には他の植物は生えることができない。ここまでくると『ツルニチニチソウ』の独壇場である。
しかし、うちの親は『他の植物が生えないから、除草にもなっている』という。
それはそうなのだが、実際は『ヒトの手を入れれば、もっと見た目も環境も良くなる』のである。南側の庭だというのに、ツタに覆われて日が差さず湿気が溜まっている状況は異常である。
というわけで、昨年一年間、『ジャングル開拓』を進めて、やっと『庭』らしいものになってきた。
そこで思った。
『多様性の失われたジャングルは、差別が蔓延っている社会に似ている』
「ツルニチニチソウ」が最上位にいて、少し場所を変えて「藤」がいる。しかし、他の植物は伸びることを許されず、一面緑のジャングルと化している。辛うじて、木々が生き延びているが、いくつかの木々はツルに倒されている。
どこでも、どんな環境でも生きていける「男性・健常者」がツルニチニチソウみたいだなと思う。
でも私はヨモギが欲しいし、冬になったら枯れる植物が見たい。四季折々に色を変え、植物が譲り合い支え合う『庭』が見たい。
『ツルニチニチソウ』の脇を縫って、ミョウガが生えているのを見た時はほっとしてしまった。他にも、私が少し手を入れるだけで、他の植物が出てくる姿を見るとホッとした。
放っておけば、多様性はあっという間に消えてしまう。
わずかでいい。『少しだけ手を入れる』だけでも、ジャングルは庭に近づくんだなと実感する。
現実の社会もそうであってほしい。
小さな波が少しずつ少しずつ岩を砕くように、価値観も少しずつ変わっていく。
私もあと10年で半世紀生きたことになる。だから、10年で『少しだけ価値観を変える』動きをしたいと思った。社会を大きく変えなくていい。小さな風が葉っぱを揺らす程度でいい。
このブログで、または別の場所でも私は今年も差別・表現etcのあれこれについて思ったことを書いていきたい。