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言葉の説明 その一

2025/08/20

簡単に用語説明。レイティングやゾーニングなんて気にしてない人にとっては、全くわからない単語だろうなと思う。私もR18は知ってるけど、レイティングって何?だったから。

自分のためにも、用語を調べ直してみた。他の業界では意味が変わるものもあるので、『創作のゾーニング・レイティングではこんな感じ』だろうなという個人的な説明も付けてみた。現状での理解なので、書き直す可能性あり。


*レイティング(等級分け)

レイティング(レーティング、rating)または評定(ひょうてい)は、対象となる物事に対して、ある基準に基づき、等級分けや数値化をおこなったものである。語源の rate には、見積もる・評価するという意味がある。

コンテンツは、そのコンテンツが一定の公共性や不特定多数の民衆の目に触れる/手に取られる機会を持つ場合に、それを鑑賞する層に対して望ましくない表現がなされていないかどうかを鑑賞者が事前に判断できるよう、一定の基準に沿って等級分けのレイティングがなされ、表示される。(レイティングWikipediaから)


18禁やR18などのことです。

小説投稿サイトではR12やR15もありますが、個人的には『サイトで年齢制限を分ける』事をしないと意味がないような気がするのです。

R18作品の隣に全年齢作品があるサイトに違和感を持たない人が多い事が怖いです。

R18作品はR18サイトに。R12作品はR12サイトに。R15作品はR15サイトに。全年齢作品は全年齢サイトにというぐらいに分けた方がゾーニングの意味がある気がします。

ゾーニングされていないレイティングにどんな意味があるのかと思ってしまいます。全年齢サイトではデフォルトでは全年齢作品以外を掲載しないものでは?と疑問しかありません。検索でR12やR15を見たい人がそれを選んで見ることが出来るという風にしないと、レイティングの意味はないです。

デフォルトでR15作品を掲載するなら、R15サイトです。全年齢サイトの小説投稿サイトは存在しません。

15歳未満が見ていい&投稿していい小説投稿サイトではありません。……と、どこかの小説投稿サイトで書いてあったら、レイティングの意味がわかってるサイトだと思う。

R15は意味がないのでさっさと撤廃の流れにならないかなと個人的には思う。


ネット小説には独自の自主規制機関は存在していないけれど、他の業界では自主規制機関がレイティングを判断しているものもあるようです。どこまで機能しているかはわかりませんが、一応、自主規制がある業界はあります。テレビ、映画、ゲームetc.。


*ゾーニング(区分分け)

区画、区分分け。 創作のレイティングに合わせるなら、『18歳以上ですか?』のボタンがそれにあたる。R15も同じようにボタンをだせばいいのに。


ネット小説のゾーニング方法には『年齢確認ボタン』『クイズに答える』『隠し入口』『作者から直接アドレスを聞く』『アカウント登録後に年齢設定をしてからR18閲覧』などがある。

小説投稿サイトでは主に『年齢確認ボタン』が多い。年齢確認ボタンではゾーニングが弱いとの意見もあるけれど、難しくすると閲覧者がたどり着けず、簡単だと未成年者が辿り着いてしまうというジレンマがある。

ついでに、『アカウント登録後に設定』の某サイトでも年齢を偽って登録する未成年者がいるので、ゾーニングは簡単ではない。


個人的にはR18作品は『年齢確認ボタン』と、ネット検索で作品が出てこないようにしておく(小説サイト内の検索では出てくる)ぐらいのゾーニングでいいような気がしているけれど、どの辺りが妥当なのかはまだわからない。


*表現の自由

表現の自由(ひょうげんのじゆう、英: Freedom of expression)とは、思想・意見・主張・感情などをその内容に基づき公権力によって検閲・自主規制・妨害されずに表現出来る権利。自由権の一つ。個人におけるそうした自由だけでなく、報道・出版・放送・映画の(組織による)自由などを含む。民主主義社会において特に重要な権利であるとされる一方で、絶対無制限のものではなく、公共の福祉による制約を受け得るものであるとされる。(表現の自由Wikipediaから)


*表現の自主規制

表現の自主規制(ひょうげんのじしゅきせい)とは、表現の自由が「絶対的で無制限」なものではないという考え方より、表現者が自ら斟酌して自らの表現に制限を課すことをいう。

単に「自主規制」と呼ばれ、これが日常慣例化するとタブーになることがある。

基本的に「表現の自由」と「表現の責任」は一体のものであり、表現行為の責任は表現者に帰属する。従って、表現行為が他の人権を侵害するかどうかの斟酌によって行われるのが表現の自主規制で、その斟酌を行う主体は表現者である。(表現の自主規制Wikipediaから)


このテーマでwikiにページがあるとは思わなかった。

でも、表現の規制が難しいのは必要な要素が多すぎなことと、明確な数値化が出来ない事、また、自由過ぎれば他者の人権を侵害し、規制し過ぎれば表現者の人権規制になるというバランスのとり方が難しいところかなと思うのです。


現状は業界内で自主規制の組織があることもある。自主規制の組織がなくても慣例から規制がかかっていることもある。


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日本ではわいせつ物頒布等の罪(刑法175条)により猥褻な文章・図画・電磁的記録(データ)の頒布や陳列は、有償・無償を問わず、禁止されている。この猥褻の概念は固定されておらず、チャタレー事件や四畳半襖の下張事件といった過去の判例を元にその時代の社会通念に照らして(最終的には裁判所により)判断されるものとなっている。

(表現の自主規制Wikipediaから)

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なぜか文学の事件だけ載っているけれど、文学はこれ以降は裁判沙汰になったものがないからだろうか。

文学が取り締まり対象から外れた理由は警察が面倒になったからというものを見かけた。でも、それよりも文章というワンクッション必須のものを確認するのは手間なのでは?とも思ってしまう。図画は一目でわかるけど、文学は読まないと確認ができない。

あと、この法律……面白過ぎる。裁判官が『この作品で自分は立った。濡れた』って発表する裁判では?と思ってしまった。いや。一般大衆はこの表現で立つからダメだっていう裁判だろうか。立たなきゃ子供出来ないと思うけど?という下品な思考がよぎった。

そして、それはそれとして、この法律があるからAVは『入れたふり』でモザイクかけてOKだったのに、近年は実際にするようになったというものをみかけた。流通物はモザイクをかけるけど、更に裏では未修整が出回っているとか。AVのための法律だったのかと思った。今は機能してないけど。モラルのない表現者たちのモラルはどこまでも落ちていくものなのかも。


刑法175条の撤廃と引き換えに、AVの『実物挿入』への対策は必要な気がする。それっぽく映せばいいし、今ならこここそAI生成で作り上げる……でいいような気すらしてしまう。AI生成のAVで充分な気がするけど、エグイことにAI生成で実在人物のポルノが氾濫してるので、人間に道具を与えても碌なことをしないのかなと思ってしまう。