創作のゾーニングの話は一旦脇において、ここでは『読み書き』についておさらいをしたいのです。
さて、みなさんは読み書き出来るでしょうか。
今の日本で読み書きができない大人は少数でしょうし、出来ない大人は何らかの事情があると考えられます。もしくは、海外から日本にやってきて勉強中という事も考えられます。
では、日本ではいつから『ほとんどの人が読み書き』出来るようになったのでしょう。
これについては約百年前。1915年あたりには学校に通う率が90%を越えたとなっているので、その辺りから読み書きができる人が増えたと考えていいのではないかと思います。(義務教育Wikipediaから)
さて、私の祖母は百歳を超えています。祖母の名前は、ひらがなですが音声と表記が違っています。なぜ、そんなことが起きたのかと言えば、祖母の親たちは読み書きができなかったからです。声で伝えると、書類を書いた人が聞き間違いをして記録してしまったということで、祖母はずっと不満を言っています。祖母は曾祖父たちと違って文字を習ったので、日常では『自分の名前に漢字を当てて』使っていました。
文字を習っていない世代と文字を習った世代の差が、祖母の時代にはあったのです。
文字を知らないという文化は今の時代には、想像が出来ません。私も祖母のエピソードを知って、『文字を知らない』ことで名前が変わるということを知ったくらいです。
『読む、書く』ことが出来ないということは、本を読み、新聞から情報を得ることも出来ません。手紙を書くことも読むことも出来ません。書いてもらうときは、人に頼み、来た手紙は人に読んでもらうため『通信の秘匿』が出来ない状態です。
読み書きは世界を広げますが、同時に多様な『合わない』価値観とも出会ってしまいます。読み書きが上流層だけのものであった時代は、同じような価値観の人たちがそれらを共有し合っているだけだったものが、庶民と言われる階層まで広がることで下層の人たちの価値観とも出会うことになった事の嘆きが「読み書き能力の効能 著:リチャード・ホガート」に書いてありました。
それと同じことが今、インターネットでも起きているような気がします。多様な価値観が雑多に並べられ、分断されていく。
人は思ったほどには『共通の価値観』を持ちえないのかと思ってしまいますが、根気よく一つ一つ変えてきた先人たちはいるのです。
文字が読めるなら、同じ知識を得ることはできる。同じ価値観にならなくても、同じ知識の上に新たな価値観を築く事は可能だと思うのです。そんな世界が本当に来るのかはさておき、未来に対する期待のひとつではあります。
ところで、あなたは『読み書き』が出来なかったら、どんな人生になっていたと思いますか?
書き手ならば、物語を作っていたでしょうか。 読み手ならば、文字ではなく紙芝居のようなものから物語を得ていたでしょうか。もしくは紙芝居に出会えていたでしょうか。
今、私たちが読み書きできるのはこの社会を作り上げてくれた先人たちのおかげです。ですが、読み書きが必要ない社会では、それはそれで機能していたとも思うのです。
そして同時に、『読み書き必須の社会』で読み書きができない。もしくは、不得意な人たちもいるのです。それらの人々の事も忘れない様にしたいと思うのです。
さて、この辺りで無駄話は終わるのです。
《《創作小説ゾーニング目次》》