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裁判沙汰、または暗黙の規制・制限がついた作品の話。

2025/10/25

 ネット小説に限らず、他の媒体でもレイティングがされています。……ゾーニングがどこまで機能しているかは媒体次第かもしれないけれど。
 視聴者・閲覧者に与える情報量の差があるのだから、レイティング基準が媒体で違うのは当たり前です。そして、映画、ゲーム、テレビ、広告などそれぞれに自主規制機構が存在してるようです。出版系の自主規制は業界ではなくて出版社ごとであり、それぞれの出版社で多少の違いがある……らしいですが、よくわかりません。

 映像・絵は性器描写が法的にアウトですが、文字情報である小説の場合には問題がない事になっています。(厳密には問題はあるが、取り締まりが行われていない)ただ、過去には「チャタレー夫人の恋人」や「四畳半襖の下張」など裁判にまでなった作品はあります。「チャタレー夫人の恋人」は敗戦でアメリカの占領下に検閲が行われていた時代であり、この作品は世界的にも問題視されていた背景を考えると、時代の影響が強いのかなと思います。
 「四畳半襖の下張」は元々春本。つまり、裏で出回っていたわけで、それを表に引っ張り出したら問題視されたという流れのようです。この作品は検索すると出てくるので、読んでみました。言葉が難しくて、全く読めなかったです。時代が古すぎると言葉が違い、古文を読んでる気分にさせられました。たしか、外国語を学ぶ時にはR18作品から入るのも手だと何かで見た気がするけど、そんな気分にです。現代語訳もついてるので、そちらで概要は理解しました。
 これらがあるから、『表現の自由は曖昧で恣意的』『だから、ダメだ』みたいな意見を見かけるけれど人間が作る法のほとんどが『曖昧で恣意的』です。『曖昧』な部分があるのは厳格運用が難しい部分で、『恣意的』であるというよりも市民の声を拾い上げて運用するのだから、そうなるしかないと思うのです。

 だからこそ、詐欺師は暗躍できるのだし、詐欺師に対抗して法は網目を狭くしていくけれど、そこで『通常運用』出来てた部分に不具合が起こることもある。そういうバランスを常にとって法は形づくられていくので、法は万能でもなければ、恣意的でもないです。バランスが悪いというならば、その部分を『社会に訴えて法を変える』ことが出来るのが『表現の自由』です。

 もう一つ、裁判沙汰にはなっていないけれど、個人的にはサカキバラ事件の『絶歌』(2015年)も現代の問題作だったと思います。この作品、話題になったのに図書館にすらない……というか、『置かない』と発表した図書館もあるくらいの問題作。注目されて出版して、流通もしていたけれど手に入れる手段はネット通販ぐらいの作品も珍しいような気がします。この作品は完全に『道徳的にどうなのか』というもので法に違反してるわけではないです。
 そして、この問題から犯罪加害者が事件について本などを出す場合は、被害者の為に使われる『サムの息子法』のようなものが整備されるかと思えば、「表現の自由の観点から、慎重な検討が必要」とのことで整備されないままです。犯罪被害者遺族への保障や事件再発防止よりも『表現の自由』が重んじられるのは、どうなのかなとは思います。
 今後、同じような本が出た時、やはり社会は『一般流通には乗せない』という販売規制みたいな形で【見なかった事にし続ける】のだろうかと考えてしまいます。
 作品の描写、内容、経緯、あらゆるものがトリガーになってゾーニングは暗黙のうちに行われると思ったのもこの作品ででした。図書館や一般書店で手にできなくてもネット販売では買えるので、制限と言えども緩めなのかもしれませんが、置かないことを決めた書店があったのも印象的でした。

 東京都の8条指定図書(有害図書)に指定されたものがAmazon取り扱いから外されるのを考えると「絶歌」は逆の対応だったとも言えるかもしれません。

 制限と言えどもその方法は色々ありますし、「法で決められていない」からと言って、社会が受け入れてくれるとも限りません。社会に拒絶された作品がどのような対応をされるかを「絶歌」は教えてくれたような気がします。


《《創作小説ゾーニング目次》》