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自主規制は法規制の始まりではない。

2025/10/27

 時々見かける『自主規制は法規制の始まり』という言葉……元ネタはなんですか?私には自主規制をかけなかったために法規制が乗り出してくる事になってるような気がします。

 法規制の始まりだという人たちの言い分の一つが『悪所追放運動』。表現の自由を規制された歴史として、表現の自由を訴える方が書いていたので知ることが出来ました。調べてみましたが排斥された側の話しか出てこなくて、『どんな理由で排斥されたのか』の理由が市民の意見らしいものもあったけど、まさか『一個人の意見』で作品が消えるわけがないと思います。そして、これは『一個人の意見』ではなくて、ある程度の集団(主に子供の親)の意見だと考えるのが妥当なので、そこに疑問を差し込む余地は小さいです。子どもの傍にいて子どもにとって『良いものを』と考える親にとって『批判したくなる作品』が多かったのだろうと思います。
 特にマンガは子供が手に取りやすく読みやすい。影響を受けやすい子供の事を考えれば親が「やめてくれ」というのは妥当性があります。そして、それに対して『説明』や『対策』を怠ってきた作者・出版社側の結果の条例制定だと思えば、自業自得でしかないですね。

 そして、その批判があってもなお2000年代には少女マンガで性行為シーンが当たり前になっていきました。姿かたちを変えて2000年代になるまで、表現が守られて、子どもたちは守られない環境なのですから、『表現の自由』の力は絶大です。今は変わっているのかもしれないですが。
 これのどこが『自主規制は法規制の始まり』なのでしょうか。自主規制の声があっても、自主規制すらされず表現の自由が守られる事の証明でしかないと思います。

 逆に対策を行い、視聴者(一般)の意見を広く集め反映してきたテレビ(放送局)はと言えば法規制が入っているようには見えません。テレビには放送禁止用語があり、また放送倫理・番組向上機構という組織でも問題があればチェックできる体制が整っています。
 自主規制が法規制の始まりならば、放送局はとっくに表現に関して法規制されてないとおかしいですね。でも実際は、自主規制がほぼ働いていない出版業界の方が青少年育成条例により法規制が入り込んでいるという結果になっています。

 さて、出版業界の自主規制組織は存在してるのでしょうか。ざっと調べた結果、出てこなかったので私には知るすべがありません。各出版社で自主規制をしているというのもあるでしょうけれど、だからこそ『売れたら勝ち』で逸脱する出版社が後を絶たず法規制に入り込まれているのでは?と、私は思います。


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