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他国と日本のレーティングを考える。

2025/10/25

 欧米は表現の自由が制限されていて、日本は表現の自由が守られているという意見を見かけました。日本の刑法175条は表現の自由の制約ではないでしょうか。ほとんどの国では、このような規制はないようです。子どもに見せることは禁止されているけれど、大人が自分の意思で購入するのは自由です。海外では『子どもに見せない(ゾーニング)』が厳しいだけで、表現が削除されるのは珍しい……と思っていたのですが、最近は規制の流れが強まっていて『社会的バッシング(ゾーニング)』は強いのかなと思います。一部では規制も強まっているようですが、なぜ規制するのかは政治的影響も入ってくるので、何とも言えません。規制が強いからダメとも、弱いからダメとも言えませんが『表現によって倫理観が変化する』ので、影響は大きいです。良くも悪くも。

 さて、個人的にはこの表現の自由の制限には二種類あると思うのです。一つは『差別と宗教に基づく制限』
 同性愛や人種差別などがそこに入ります。ただ、これらは『今まで制限があったので、これからは多様性としてしっかりと描いていこう』という流れになっているみたいです。(一部、逆流になっている国もあるけれど)
 日本では人種差別は『外国人差別』に変わるので、欧米とは少し向きが違っている。日本人には『日本人しかいない』という前提の描写が多すぎなことと、まだ多様性の価値観がそこまで広がっていないので結果的に『海外の人』が出てくる作品というだけで目立つことになる。同性愛においても同様な感じで、『異性愛』が当たり前なので同性愛が入っているだけで作品が目立つ事が多いです。
 また、海外ドラマを見ていると最近は障がい者が当たり前のように健常者と同じく生活しているシーンが入り込んでいるものを見かけます。日本ではまだ障がい者がドラマの配役に入っているものは目立ったり、少なかったりするという違いはあります。規制はされていないけれど、無言の制限があるというのが実情なのかなと思います。


 もう一つの制限は『未成年者に対する制限』
 子どもに対して『偏見と差別の助長』『誤解する表現』『真似をすると(その子自身が社会的に)困る表現』など、理由は多岐にわたるけれど、日本ではこれらの理由は「エロ(性的)である」というものに単純化されることが多いような気がします。
 『酒・たばこ』に始まり、『自動車の運転』『麻薬(シンナー)』『タトゥー』etc.昔はこれらを行う未成年者がかっこよく見えるように描かれている作品も多かったですが、今では皆無ですし、仮にそういうシーンがあれば注意書きが入ってることが多いです。
 表現の自由だというけれど、実際には様々な部分が『無言の自粛』で消されているのが現実です。また、現代の価値観と合わなくなったシーンも消えて行っています。なんでも『表現の自由』のままに残っているわけではありません。

 それに対して、なぜか『性的発言や性的なシーン』だけは子どもが見るようなアニメにまで広がり、昔よりも酷くなっている感じがします。『欧米より表現の自由がある』のはそういう部分だろうなと思います。
 それらの表現が海外ではひっかかることもあるようです。海外ではジブリ映画ですら、年齢制限があるということなので、日本の基準とは違う基準があることがわかります。
 子どもが見てしまうものに対して、海外では制限があるのは、『子どもの環境を整えるのは大人(社会)の役目』であり、『この年齢の子どもには、この表現の理解は難しい』という理解が進んでいるからのようです。
 日本は、数が減ってしまった子どもたちへの理解は一向に進まず、『子どもにだって知る権利がある』という部分だけを切り取って都合よく使う声が大きいように感じます。
 子どもの権利は子どものものであり、『子どもが何をどう理解するのか(自分たちは何をどう理解してきたのか)』という情報と共に子どもへの情報制限は必要という知識を大人にも与えてほしいです。……調べてたどり着くのは至難の業に近いです。私もあちこちに散らばっている小さな知識を繋げて理解している状況です。

 日本でも『子どもの健全な育成環境を整えるのは社会の役目』の価値観が広がるといいなと思います。

《《創作小説ゾーニング目次》》