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とある事件の話。

 

町で談合があったという事件。酔った父がポロリとこぼしてたけど、絶対町長も分かっていたはず。という。

捕まったのは下っ端。


日本の政治家を見たらわかる様に、裏金を作っても『秘書がやった』『自分は知らない』で通す政治の世界。

地方自治体も変わらない。下っ端を逮捕して、事件は終わる。なぜなら、書類を作るのは下っ端だからなのだろうけど……だったら、長が長である必要ないだろと言いたくなる。


けれど、地方自治はどこもじり貧で正直、『どれだけ中央から予算をぶんどってこれるか』という話が政治の中心に据えられる。中央から予算が取れなければ、夕張市の二の舞で破産しかない。そうなった夕張がどうなったかは……少し調べればわかるけど、引っ越せる人は市を出ていくという状態。何とかしたいという人が高い水道料やその他に耐えているという感じらしい。


というわけで、私の住む町もその例にもれず『中央から予算をぶんどれる人』が町長に納まっている。

おかげで町は潤っている。良くも悪くも。この『悪くも』というのは『次に同じように中央から予算を分捕れるだけの人材』はいないので、今の町長の独壇場という事だ。だから、談合で捕まるのは末端なのだ。


ただ、あまりにもいろんな施設が綺麗になり過ぎて、整い過ぎていて、逆に大丈夫かと思ってしまう。少子高齢化は避けようがない。この先の箱モノの維持は出来るのかという視点はちゃんとあるのか。

『自分の時に功績を遺せればいい』という町長の思惑は常に見え隠れしていて、『30年後の町の姿』は全く見えてこない。

図書館や学校が綺麗になったのは嬉しい。書店が欲しいという小学生の声にも耳を傾けて、コンビニ併設という形での小さな書店を町に迎えるらしい……。
しかし、ここに本当に必要なのは、産院で分娩可能施設だとも思う。それがあるだけで、子供は増える。町に分娩可能な施設はない。

地方の産院は減少の一途だというのに、それを問題視している様子は見たことがない。

なのに、地方自治体の長が言うのは『介護は家族で』『外で学んだら、戻ってきて』というおぞましい掛け声だ。高齢男性たちは介護をする覚悟はないのだろう。高齢女性たちが介護する姿を見て何も思わず、『わが子も同じように』と思っているのかもしれない。

戦場に行かない者ほど、戦争に行って国を守れという……とは言い得て妙だが、地方自治体の長も同じだ。

箱だけを増やす昭和のやり方を、いつまで賞賛できるのか。墓じまいという言葉があるように、『自治体じまい』という状態にこの先なるのではないだろうか。平成の大合併がそれに近いのかもしれない。合併が良い事のように言われ、国からも金が出るからと合併が盛んにおこなわれたが、大きな市と合併した旧市町村は廃村になってるか、なりかけている地域が多いと思う。全てを守ることはできない。末端は切り捨てられていく。


災害対応のためにもという大義名分はどこまで使えるのか。
実際に災害が起きたら、施設はあるけど備蓄品はなかったという事にはならないのか。
能登の惨状は常にここでも起こりえることだと思う。中心部は物資が届いても、末端までは届かないという声を聞く。


談合はおそらく町長も知っていた。でも、それを言いはしないだろうし、この町も町長を見捨てない。金を持ってくる人間だからだ。
政治は誰かを切り捨て、誰かに縋りつくものだっただろうか。
そんな仕組みしか作ってこれなかった、中央と地方の関係性は歪ではないのか。

私に子供がいたら、『日本を出ろ』という。
私が若かったら語学を学んで海外に行く方法を探したかもしれない。
日本は沈みゆく泥船だ。中央も地方も腐ってる。でも、それを打破する方法を示せる人材はいないし、おそらく急激に『腐敗を打破する』と言ってくる人物はそれはそれで危険人物でもある。


腐った泥船でも、そこしかない。
日本は島で外に出るには空を飛ぶか泳ぐしかない。飛行機か船という移動手段しかないのは、監獄にいるようなものだ。
日本語と言うマイノリティーの言語も相まって、外の情報を知る手段が少ない。こんなに傀儡にしやすい民衆もいないだろう。

そんな立場にいる国の民なのだと、最近の政治の事件を見てても思う。ニュースになってない事は忘れていく。政治の問題は糾弾される事なく忘れ去られていくし、マスコミもそれに加担してる。



まとまらないので、この辺りで終わる。